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沿革

神戸改革派神学校は1947年4月、日本基督改革派教会によって開設されました。しかし、その歴史は20世紀初期にさかのぼります。

神戸神学校から中央神学校

明治学院神学部の経営に参加していた合衆国長老教会(南長老教会)ミッションは、同校の自由主義的な組織神学の教科書の採用に反対し、1907年に独自の立場で神戸神学校を設立し経営します。1927年、米国北長老教会系の大阪神学院と合併して「中央神学校」と改称しましたが、1941年、再び同ミッションの単独経営となり、第二次大戦を迎えました。

 神戸神学校および中央神学校を一貫していた信仰と神学の伝統は、次のものです。
1)ウェストミンスター信条に示されている歴史的改革派神学への忠誠
2)伝道・牧会における熱心な奉仕
3)神社参拝を偶像礼拝として拒否する姿勢
最後の点が、当時の国家権力との衝突の原因となり、中央神学校は国家権力への服従による存続の道を断ち、1942年3月9日、自主閉校の道を選択しました。そして、昭和神学研究所が設立され、後日の再興を期すこととなりました。

戦後の再出発「神戸改革派神学校」

 第二次大戦後まもない1946年4月、「日本基督改革派教会」(1999年より「日本キリスト改革派教会」と表記)が設立され、10名の教師および長老からなる理事会によって新たに「神戸改革派神学校」が運営されることになりました(法人設立は1953年(昭和28年)8月19日)。南長老教会ミッションは日本伝道を再開しましたが、同ミッションは以後日本で独自の神学校を経営せず、神戸改革派神学校を支持する方針を決め、この協定に基づいて、1950年、神戸市灘区楠が丘(六甲)の地に学校施設を建て、本校に無償で貸与することにしました。そして1961年に、その全財産を日本基督改革派教会に譲渡するに至りました。

 神戸改革派神学校は、楠が丘校舎へ移転するに当たり、経営の主体を宗教法人日本基督改革派教会に移して、定款と校則を定め、新理事会組織および校長の大会公選制を採用して(一時期、教授会議長制を採ったことがあるが)今日に至っています。

六甲から現在の菖蒲が丘へ

さらに、1996年9月、現在地(神戸市北区菖蒲が丘)に移転し、新しい礼拝堂、校舎、学生寮、教師住宅を得て、21世紀に向けて歩み出しました。

神学校の特徴と現状

 本校は、教職の学的資質の確保のため、入学資格を4年制大学卒業ないし同等の程度と定め、ヘブライ語およびギリシア語を必修科目として、聖書を原典から読み解く説教者の育成に努めています。また神学的には、ウェストミンスター信仰基準に立ちつつ、英米の長老教会のみならず、大陸の改革派教会の伝統にも真摯に学びつつ、より広く、深い歴史的改革派神学の研究と教授を目指しています。現在、教授・講師陣のほとんどが日本キリスト改革派教会の教職であり、財政的にも日本キリスト改革派教会内の献金によって支えられています。また学生は、日本キリスト改革派教会の教職を目指す者だけでなく、国内他教派からの入学者、アジアからの留学生も加えられています。

 また1999年より、教師候補者の他に、信徒伝道者・教会学校教師・教会役員等の学びを希望する人たちのために、男女を問わず、入学資格を2年制短期大学卒業ないしそれと同等の程度とする別科課程を設けて、教会の多様なニーズによりよく応え得るように、自らを開放し、改革すべく努めています。さらに、正課授業以外に、内外の講師による特別公開講義、夏期信徒講座、神学生と現場の牧師たちによる共同研究セミナー、信徒のための聴講制度等を設けています。

 創立70周年に及ばんとする今日、2014年度までの本校の卒業生および特別研究生の総数は388名に上り、卒業生の中には日本、韓国、その他の国の諸教会で活動する者も多く、その働きを通して本校は広く福音主義教会にも貢献しています。